さあ紹介しましょう!

僕の名は、今や記入例などの名前見本「山田太郎」のライバル的存在として全国に名をとどろかせる

「佐藤大輔」である!

 

 

 

 

 

 

 

山田太郎先輩に敬意を払いつつ、

楽しんで行こうじゃないか!

わーははは。未来は明るいぜ。

動画もある。いえーい。

 

 

さて。この1977年生まれの佐藤大輔というおじさんの話を聞きたまえ。ごめんなさい聞いて下さい、お願いします。

僕は物心つく前から運動と外遊びばかり。小学生の時、母親には服はどんどん汚して来なさいとすら言われて育った僕は、水泳、サッカー、野球、スケボー、サーフィン、スノーボード、ボクシング、ウエイクボードなど、遊びといえば基本、体を動かすこと。小学校、中学校とサッカーにハマり勉強は全くせず。中学2年のア・テスト(今はもうない神奈川の変な学力テスト)では自分でも驚きの2点という結果も叩き出すほどの勉強に対する無関心。中学3年になって、サッカーが強いと噂で聞いた県立高校に行きたいと先生に相談すると一番下位レベルの高校と併願で受けろと言われる。サッカーをする以外で高校に行く理由が見当たらなかったので、周りの意見は聞かず県立高校を単願で希望したのち、やれば出来る子の僕は見事に合格。高校サッカーで青春を楽しむはずが1年の夏に足の疲れが全く取れなくなって短時間しか走れなくなり、病院でも原因がわからず秋には退部。この症状は20代後半まで続き、最終的にはカイロプラクティックにて一瞬で治りマジでビビる。
サッカーがなくなり高校に行く意味がなくなると、寝落ちするまで遊び、目が覚めるまで寝るという生活に。高校を中退するほど徹底的に遊んだのち、気付けば20代半ばのバンドマン。何を目指すわけでもなく夢中でバンドを楽しんだ。20代後半には結婚して子供ができ真面目に働こうと、バンドを含む遊びという遊びは全部やめて仕事に精を出す。ところがしっかり信頼関係を築いていなかった嫁とのコミュニケーションは噛み合わず、僕の心は離婚に向けて一直線。結果的にこのタイミングで人を信用しなくなると同時に、今まで自分がどれだけわがままに過ごし人に迷惑をかけてきたかを思い「心」を考えすぎて鬱になった。
1人になった僕は、役職ももらった会社を辞め、自分の殻に引きこもる。
僕がこの状況から再度動き出すきっかけになったのは音楽だった。当時の僕はベースという楽器をやっていたので、バンドメンバーを探して誰かと音でコミュニケーションを取ろうと考えた。僕がバンドをやるためにとった行動は、雑誌、ネット、楽器屋に掲載されている"ベース募集!"の張り紙を片っ端から集め、来る日も来る日も知らない人達と「はじめまじて。」って言いながら演奏した。高校生のコピーバンドもいたし、全然年上のおじさんやおばさん、外国人とも演奏した。正直なところ目的は道場破りみたいなもので、ベースで自分を表現してそれを受け入れてくれる人間がどのぐらいいるかを知りたかった。真剣にコミュニケーションを取り、年齢や国籍問わず相手をリスペクトした結果、自分でも驚くことに100%の人が一緒にバンドをやろうと言ってくれた。本当に嬉しかった。もちろん全バンドやるのは物理的に無理なので、最後は人で選びいくつかのバンドに参加した。ここから色んな繋がりが出来て、気付けばライブハウスで働いていた。コミュニケーションとして再度始めた音楽だったが、この頃にはそれなりに夢もあって、海外でベーシストとしての自分が通用するのか試したいと思っていた。「お前は凄いベーシストだな!」と、アメリカ人に言って貰いたかった(アメリカのバンドを聴いて青春時代を過ごしたためか外国人のイメージがアメリカ人だっただけ)。ただそれだけの些細な夢でバンドを続けているとある日チャンスが来た。知人の紹介でカナダのレーベルから「ベース1本持って来い」と。お、それいいね。と思ったのとほぼ同時期に、東京でライブハウスを作るのが夢だった人間からライブハウスを立ち上げるから店長をやらないか?とお誘いがきた。少し時間を貰って考えはしたが、必要としてくれる人間が近くにいるのはやはり嬉しかったのだろう。僕はライブハウスの店長になった。
バンドという意味では完全に裏方にまわり、今まで自分のやりたいことだけに向かって自己中に攻める生き方をして来た僕にとって、"人の夢の舞台となる店"の店長という仕事は大変だったが、新しい空間を作るというのはかなり楽しかった。問題は初めの立ち上げ時は攻めなのだが、軌道に乗ると守りに入らないといけない部分と攻めの楽しさとのバランスがうまく取れず困惑することだ。攻めたいという考えのみが頭にあり、仕事内容や人間関係、今後の自分について必要以上の葛藤を抱き戦い始める。そして2回目の鬱になった。
そしてこのあと僕は外に出て会社を立ち上げる。音楽全般の仕事をしていたが、利益になるのは音楽以外の仕事だった。上下関係という本当にくだらないルールと、つまらないしきたりに従えば付き合いで仕事を貰えたりもした。そして気付けば音楽との接点はなくなり、金や自分の生活の豊かさを求める自分が現れ、自分があまり好きではなくなる。
結構話を省略してしまったが、こんな感じで音楽の世界では色々とありながらも目標だけしっかり達成した。アメリカ人にベーシストとしての自分を認められたいっていう小さな目標であり小さな夢だ。先輩が韓国にツアーで行った時、そのバンドでベースを弾かせて貰った。フェスでの演奏が終わりいっちょ前にサインとかして会場を出るとそのまま韓国在留米軍の兵士が集まるBARに移動する。"チャンスが来た!" と思った。僕はボーカルの先輩に、演奏する前に「日本から来た!」と客に伝えてくれとお願いする。僕たちにさほど興味のない会場のアメリカ人たちに正面から挑戦したかった。そして演奏が始まって僕のソロが来ると(今思うと勝手にソロってことにしたのかもしれない。。)ステージから降り、客席のテーブルに乗っかるとアメリカ人の好きそうな派手なソロを弾いた。かっこいいフレーズというよりも派手に見えるソロを弾いた。やはりアメリカ人は想像通り反応が早かった。ソロを弾いている段階で空気が変わったのがわかった。1曲目が終わると店から全員分のビールが出て来た。この時のライブは人生で一番楽しかった。僕がアメリカ人だったらライブ中毒になっていたかもしれない。ライブが終わると帰りがけの兵士が一言「You're genius!」僕は満足した。かっこいいとも上手いとも違う、感覚で僕の演奏を観てくれた人の表現が凄く嬉しかった。このとき僕のベーシストとしての夢は達成し、ある意味ベーシストとしての人生が終わった。
少しづつわかって来たのは 何か目標を作った時に、やるべきこととゴールはイメージすれば見えるし、全力でいけばゴールには確実にたどり着けるということ。今やりたいことや今やっていること、明日の飲みだって週末の旅行だって、楽しみなことは全部が"自分の夢"なんだってことがわかった。だから逆に誰かのやりたいことに協力すればそれを実現出来るという手助けが出来る。そう考えた僕は、このあたりから人のやりたいことに協力することを心がけるようになる。やってみてわかったのは仕事としての協力はたいがい結果が出る。情報やタイミングや動き方や考え方を整えればそれなりの結果は出るからだ。あとはどこまでやるか次第。しかし一番うまくいかないのが「僕はこうなりたい!」「私はこういうことがしたい!」という個人の夢や希望に対しての協力だった。要するにその本人次第っていうやつだ。僕の中では答えが見えていてもそのやり方を相手が好まない場合もあればやるって言ってやらない場合もある。そうすると、気付けば本人よりも僕の気持ちの方が先に進んでいて自分が何のために今これをやってるんだ?と訳のわからない気持ちになる。僕の伝え方が下手なのか、そもそも協力すべきではなかったのか、自分が間違えているのか相手が間違えているのか。本当に混乱したが、そういう時の僕は何故か「寂しい」という気持ちになった。そしてその寂しいという気持ちは自分の心にしまい、時間をかけて今まで向き合ってきた。
その後も、自分でも理解出来ないような色々な感情が日々出てくる。そして僕は38歳になって山に登り始める。このホームページでもブログとして記録していこうと思っているが、山に登って自分の心と向き合うということは、僕にとってとても重要な時間になった。山では心を強くしないといけなかったし、人の気持ちも理解しないといけなかった。僕には僕の考えがあり自分中心に世界は回っているが、他の人にもまた、自分の考えがあり自分を中心とした世界があることに気付いた。お互いを認め合い許しあわないとコミュニケーションが成り立たない。山に登り、僕はそんな事を考え始めた。
これから歳をとればとるほどコミュニケーションが大事になる。人工知能やロボットが活躍する時代が加速すればするほど人間同士のコミュニケーションの価値は高まってくる。特に日本は、1人で生活が成り立つ環境になっているし、今後さらに孤立していく人も増えるだろう。でもやはり人間は1人では生きていけない。これからネットを中心に、寂しさや不安を抱えて暴徒化した大人たちが増えてくるだろう。だから40歳からの生き方として、僕が思う「人間の心が繋がる場所」を作ることはいつか必ず誰かの役に立つ時がくると信じている。まずは自分が好きなことをやって生きていく覚悟を決め、いま持っている環境や仕事を全部捨てた。バンドを始めた頃のバイトしながらの生活になってもいい。なんせ好きなことや好きな人だけで自分の環境を作りたい。そしてその過程での心の動きの記録を残すために自分のホームページを作った。日本中に佐藤大輔がいるにも関わらずオフィシャルとか言ってるこのWebサイトだ。佐藤大輔は本当に多すぎる。このサイトももちろん "さとうだいすけ" と、平仮名にした挙句 "くん" まで付けないと検索にすら引っ掛からない激アツの名前だ。もし僕を思い出した時には「さとうだいすけくん」と検索して欲しい。
ここまで読んでくれた人はわかると思うが僕には学がない。最近こそ色んなことに興味を持って学んでいるが知識の基礎が足りなすぎるため文章で表現出来る幅も少ない。内容が伝わりづらい時や間違えてる時も多々あると思う。そんなことに気付いたら是非良い方法を教えて欲しい。むしろ書き直して欲しい・・・。
世の中の人が必要と感じれば、いつでも参加出来る交流の場を作ることを目標として、現時点で明確になっている自分のやりたいことから1つずつ着実に進めていこうと思う。実際、時間のかかりそうなことが多いんだけど、その過程には夢も沢山あるし、楽しんで挑戦できれば僕は幸せだ。
好きな人や好きなものに囲まれて、
好きなことをやって、
これからも僕は、
前向きに生きていこうと思う。
ここまで読んでくれて本当にありがとうございました。
2019年4月 佐藤大輔 (さとうだいすけ)